テレビや新聞で被害の様子は知っていましたが、現状を目の当たりにして
「これがあの女川町か?」と自分の目を疑いました。
街の姿はすっかり消え、がれきの山また山が延々と続いていました。
女川町は今からおよそ66年前の1945年8月9日、連合軍から激しい
空襲を受けました。その日は長崎に原爆が投下された日でもありました。
今回は巨大地震と大津波による被害、特に津波被害が大きく影響しました。
悲惨な光景を見てすぐに「大津波爆弾」という言葉が脳裏に浮かびました。
以前から取材などで女川町には度々訪れていました。南三陸の風光明美なまち、
サンマを中心とした水揚げ基地の漁港を控えた活気あるまち、
そんな女川は好きなまちの一つでした。
復旧・復興までには数多くの曲折が予想されますが、
新生・女川町が一日も早く誕生するよう願っております。
女川高校近くのバイパスから
(左上の建物は女川町立病院)
海岸駐車場からマリンパル方面
(遠く中央に白い大きなタンクが転がっている)
海岸通りから(中央奥は生涯教育センター)
陸上に漁船が
(右上の建物は女川2小。役場の災害対策本部も設けられている)
専務取締役放送局長 鈴木孝也

