2011年04月15日

女川の惨状、まるで「大津波爆弾」

 4月13日(水)、大震災後初めて被災地の女川町に足を踏み入れました。

テレビや新聞で被害の様子は知っていましたが、現状を目の当たりにして

「これがあの女川町か?」と自分の目を疑いました。

 街の姿はすっかり消え、がれきの山また山が延々と続いていました。

女川町は今からおよそ66年前の1945年8月9日、連合軍から激しい

空襲を受けました。その日は長崎に原爆が投下された日でもありました。

今回は巨大地震と大津波による被害、特に津波被害が大きく影響しました。

悲惨な光景を見てすぐに「大津波爆弾」という言葉が脳裏に浮かびました。

 以前から取材などで女川町には度々訪れていました。南三陸の風光明美なまち、

サンマを中心とした水揚げ基地の漁港を控えた活気あるまち、

そんな女川は好きなまちの一つでした。

 復旧・復興までには数多くの曲折が予想されますが、

新生・女川町が一日も早く誕生するよう願っております。

PICT1564.JPG
女川高校近くのバイパスから
(左上の建物は女川町立病院)


PICT1563.JPG
海岸駐車場からマリンパル方面
(遠く中央に白い大きなタンクが転がっている)


PICT1562.JPG
海岸通りから(中央奥は生涯教育センター)


PICT1561.JPG
陸上に漁船が
(右上の建物は女川2小。役場の災害対策本部も設けられている)




専務取締役放送局長 鈴木孝也
posted by ラジオ石巻 at 17:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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