
震災直後地震情報を伝える高橋幸恵アナ(3月11日午後3時23分撮影)
私は局社2階で、午後3時からのアナウンス教室に備えて原稿に目を通していた。地震、強い揺
れ、今まで経験したことのない揺れ、少し弱くなったかなと思った瞬間再び強い揺れ、建物が壊れる
のではないかと思った。棚から物が飛んで来る。ものすごく長く感じた。外を見ると建物が崩壊
している。

地震後の局内(午後3時12分撮影)
局アナの一人、高橋幸恵アナがスタジオに入り地震情報などを伝える。
その後、停電、自家発電に切り替え放送、局内は足の踏み場もないほど資料、CDが床に散乱。
人が歩ける所だけ整理する。
5時以降、停電などの影響もありスタジオ内のパソコンも接続せず、情報入手が出来ない状態に。
無線ランのパソコン1台使用可能。そのパソコンを持って私がスタジオに入る。初めインターネット
からの情報を伝え、その後メールに変更、情報を呼び掛けると続々入ってきた。
メールを読み上げる。その一部です。
*「助けて!湊2丁目〇ー〇です。〇〇です。津波で家から出られません、今2階にいます。
1階は水没です壊滅的です、家が流れて来ます。」
*「〇〇です。母親は津波にのまれました。向かいにも人がいます」
*「鹿妻小学校からの連絡途絶えています。安否が心配です。小学校に避難の方連絡ください。」
*矢本は冠水のため交通がマヒしています。病院職員ですが病院まであと500Mのところにいま
すが車でも歩きでも病院へ向かう事ができません。透析室、病院の皆さん無事ですか?
*大瓜字小福地○○○の〇〇です。パパ大丈夫ですか?パパ以外とは連絡取れて無事です。パパの安否
が確認出来ず心配です。
スタジオでは被害状況が分からず、リスナーからのメールで大変なことになっていることが分か
った。
時間が経つにつれて、救助を求めるメールから安否を確認するメールに変わってきた。
テレビ局勤務の長かった私にとって、このようなメールを読み上げる経験は勿論初めてのこと。
「一人でも多くの情報を伝えよう」。メールを読んでいる時も強い余震、中断し高橋アナが注意事
項を伝える。日没、スタジオの中は暗くなる。自家発電は機器のみに対応。高橋アナは懐中電灯
の灯りを、私はパソコンの画面の明かりで伝えていく。メールを読み始めて2時間近く経ったところ
で放送中断。送信所のトラブルか。技術担当の今野が送信所のある日和山に向かうが津波の
襲来で道路は寸断。水は引いたのではと日和山に何度も向うが、全て通行止め。
放送を明らめなければいけない事態に。
多くの人達が唯一頼りにしているラジオからの情報。悔しい!
スタジオを出て、局社2階の事務室に、窓から見える門脇方面の空は真赤、火災が発生している。
局の前の国道108号線に水が流れてくる。どんどん水かさが増える。玄関から水が入って来ないよ
うにゴミ袋に新聞紙などを詰め込んで土のうの変りに置く。幸い局社の土台が国道よりも高く
難を免れたものの緊張した瞬間でもあった。
車の中で一夜を過ごし、翌日仙台に戻る。停電でテレビも見られない。河北新報朝刊で被害状況を
知る。大震災、放送中断、情報を最後まで伝えられなかった事、日が経つにつれ悔いが残る。
(ラジオ石巻アナウンス教室・民謡番組担当:沖津省己)
posted by ラジオ石巻 at 15:33|
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